中村一義のソロアルバムが⒎月に出るらしいのだが、
ベートーヴェンの交響曲1〜9楽章を彼なりに再現しているらしい。
というわけで、今日ははベートーヴェンを聞きながら予習をしていた。
これが全部流れ終わったら、5時間40分経過しているわけである。
その間に全部終わることを祈る。祈ることが大切です。
自分を納得させるための祈りも必要だ。
結局のところ、我も我もと考えてしまうわけですが、それでも祈ります。違うものに向けて。
留学生に対して日本語で話すとき、
なんか文章が複雑になりすぎないように気を遣ってメールしてみたら、
なんか違う意味になって伝わってしまった(と思う)
向こうの言語で書いたほうがむしろ誤解なかっただろうな。言語的には間違ってようが。
日本語、むずかしいわ。
日本語教育やってる先生の書いた文章をちらと読んだけど、
外国人に向かって日本語を話す機会って、そんなにない。
だから文法的にセーブして話すことに慣れている人は少ないんだと。
そのくせ間違いには寛容でない。
みんながみんなそうではないと思うけど、
自分は「間違い」にけっこう敏感に反応してしまうほうだったと思う。
外国語しゃべるとき、誰かが外国語しゃべってるときも、これ合ってるの?って考えちゃうほうだった。
でも、なんか最近は慣れてきた。
自分の「間違い」はやっぱ気になるから、びびってたいした文章かかないんだが。
「みんなさん」っていう表現は、もはや正しい表現のようにも思えてきた。
日本語が国際化していくと、こういう感じ方はもっと増えてくるんかな。
日本語を喋る外国人が集住してる環境なんて、そんな無い環境だよな、そういえば。
そういう詩人っておるんかな。よく知らんけど…
外国人のしゃべる日本語の感覚を敏感に感じ取ったような詩をかくひと。
新しい言語への挑戦の先っぽには、詩が存在するわけだ。
別に先っぽではないか。
おれが感じたのが、単に今だったということで…
これも今日あったことではないです。
ほんとかウソかは知りません。
コーヒーにアイスクリームを浸すとなんかを思い出す…
いや逆だ。アイスクリームにコーヒーをかけるんだった。
アメリカンよりもエスプレッソがいい。気取るわけではない。
でも時々アメリカンのほうがいい。香りすぎると思い出す記憶が鮮明になるので、
忘れといたほうがいいこともあると思うんです。
何も考えず時間を過ごしたいときは、アメリカンだ。
いや、逆かもしれないです。
じっくり考えなきゃいかんときにコーヒーの香りが邪魔しても困る。
隣に甘いチョコレートがあればなお良いな。
いや、なんか思い出すとかウソですよ。
思い出すかもしれないし、そりゃ何も思い出さないことだってある。
毎日コーヒーのんでるもの。呼吸をすることとコーヒーを飲むことは同じです。
うん。コーヒーが好きです。
A tristeza não tem fim~~♬
悲しみに終わりがない〜と心地よいリズムで歌っているブラジルの人。
中南米のことはほんまに詳しくないのだが、価値観の反転・転覆の多いこの地域のことは面白い。
数々の苦難の道をくぐり抜けた人々は、夢の世界に身をおくことができる。
夢を持って、窮地もなんとかしてしまうらしいのです。イメージはとっても大事。
さて、夢は現実に持ち込むべきなのでしょうか。
僕は夢を見て、目が覚めたときに、その続きを口にしてしまう。
夢の中で聞かれたことを目が覚めてから返答してしまい、変な目で見られてしまいます。
口が勝手に動くんだから仕方がないです。
もしかしたら、意味あるかもしれないですよ。だれも理解できんでも。
実際にあったことよりも、なかったことを書くほうが個人的にはラクです。
ある意味では責任の放棄ではありますが。
しかし匿名で書いてる以上、無理に責任がついてしまう文章を書くこともないのかと思います。
匿名で人を称賛して、批評するなら実名でって感じで。
批判は匿名でも実名でも致しません。
他人の愚痴は言わず、不足の言を致しません。喜んで、進んで働きます。
ほんとかなあ。
バイトが終わり、家路を辿ると、
女の子の後ろ姿に、右前から男3人。
男たちを見ると、3人揃ってその子に流し目してた。
そのまま僕は男たちとすれ違い、早足で女の子を追い越しました。
決して後ろは振り返りませんでした。そのほうが美しい。
こんな気持ち悪いことを書く僕のおかげで、よけいに。